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【旅エッセイ】何も起こらない日常の幸福感
2025年4月12日
今日は時々書きたくなる旅エッセイ的投稿を…
週末は乗り鉄の次男くんと共に、電車でぶらり途中下車の旅へ。
移動が車になりがちな地方暮らし。
久しぶりの公共交通に揺られながら、ぼんやりと車窓を眺める。
週末の列車内はゆったりとした時間が流れていて、じんわりとした幸福空間に。
趣味としての列車移動も、なかなか良いかも知れない。
通勤や通学の手段である移動も、場面が変わればそれは目的の一部なのだ。
まずは海が近い駅で降車。
主要駅からほんの二駅で、ホッとした時が流れる田舎駅。
地方の駅前にありがちな老舗っぽい和菓子屋さんで、いい感じのどら焼きときんつばを購入した。
道中の自販機で、缶コーヒーとジュースも入手。
幼児も中年男性も楽しめる”お手軽至福ティータイムセット”の完成である。
駅から伸びる片側一車線道路を、海へと向かって南下する。
庭先で育てる花に水やりをする老年女性。
日課であろう、愛犬とともに散歩をする地域住民とすれ違う。
なんとも穏やかな空気の中で500mほど歩いた先に、人気も少ない静かな海岸へ到着した。
海水浴シーズンには随分と早い海辺には、親子が数組と海パン日焼けおじさんが一人。
海岸へと降りるスロープに二人腰掛けて、先程購入したばかりの甘味を楽しんだ。(甘味にありつけて嬉しそうな次男)
おやつタイムを過ごした後は波打ち際へ。
広大な海と、大小様々な無数の石ころ。
こうなれば石を海に向かって投げないわけにはいかない。
誰に強制されたわけでもないけれど、打ち上げられた石を二人で100個以上は海へ戻しただろう。
意味は無い。なかなかの重労働だ。
生産性は皆無だけれど、なぜかやめられない止まらない。
そんな行動の中に、私たちの本能・本質があるのだろう。
石の手触りと不規則に寄せては返す水面で、飛び散る水しぶきの違いを楽しんだ。
私たちが生まれる何世代も前から、ここでは同じ様な光景が繰り返されているのだろう。
そんな『何も起こらない繰り返し』の中にこそ、人々が真に求める幸福があるのかも知れない。
強烈なドーパミン的幸福感に自分を見失いがちな現代社会。
セロトニン的幸福感を見失わない様に生きていきたい。